リテラシー教育って必要か?

これって,小中高あたりを想定しているよね.

どうなのだろう?高卒(*1)は単純労働かそれに近い仕事に付くのだろうし,浅い知識を前提に職場のあり方に疑問を持つよりは洗脳モードでそのまま働いてもらう方が回りにとって良いのじゃない?それがいやだと考えたら自分で行動というか勉強というか始めればよいでしょ.リテラシー教育なんかは,社会に出てから必要性を認めてから勉強し始める方が効果的なんじゃないのかな

それよりも基礎学力というか基礎知識というかをしっかりやってもらった方がその後の社会生活には役に立つよ.いつぞやのクローズアップ現代やっていた,「マニュアルに書いてある”差異”という言葉の意味が解からなくて適切な処置がが出来なかった工場労働者(日本でですよ)」のような致命的なミスが無くなる方が重要だよね.それを考えると洗脳というか盲目的に学習させる今の小中高の公教育も利に合っているよ.

今は大学進学率が40%なんだから,彼らにリテラシーなるものを自主的に習得してもらうか講義すれば良いのでは?.大学であれば,学生に自主学習が求められるし,放っておいても意思があればそれなりの行動はするでしょう(*2).学生がしなければしないで,これまた必要を認識してから覚えてもらえばよいんじゃないかな.「人口の上位40%のさらに自主的な意思を持つ者」のみがリテラシーなるものを持つ.これだけリテラシーな人がいれば世の中回らないのかな?

別の視点から.教え手のイデオロギーで内容が左右するような教育を公教育ですることはないんじゃないかな?っていうかすべきではないような.日教組先生が反日教育を堂々としかねないし.文字通り内容が左右してしまうよ.

リテラシーはみんなが持つべきものなのだろうか?それとも一部の責任ある者が持てば良いのだろうか?この疑問はおいおいまたの機会に.

# いかにも産業の為に教育がある的に書いてしまった.

*1 : 近年もしくはこれら高校卒業後に社会に出る人って意味で.

*2 : 場合によってかつての学生運動だったり.

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