プロフェッショナルは諦めも肝心

とにかくね,助けられる人を助けないかん.助からない人はもう諦めな.この人もう何分ぐらいか判る?...よし,止めなさい.ストップ!次の人にかかろう次の人に.

重症患者を数人の医師が蘇生を試みている最中に,それを止めに入るリーダー格の医師の言葉.阪神淡路大震災後の兵庫県立淡路病院にて.

震災直後,多くの重傷者が病院に詰め掛けてパンク状態になった.一人一人にそう時間はかけていられない状況での一言.

まだ命ある患者の死を確定させた医師.プロフェッショナルは諦めも肝心という一例.

『記事の改訂について』について

記事の改訂について

俺も推敲という意味においては書き換えるよ.さらに記事の意味を変更するような場合はその旨書いている.

同じテーマであれば一つのエントリーに集中した方が読者にとっては楽でしょう.常連さんとかRSSリーダー使っているのであれば,新しい箇所や変更は新エントリーとしたほうが良いかもしれない.しかし,ページビューの殆どがGoogleを初めとする検索エンジン経由の一見さんなんだよね.だから内容は一つのエントリーに纏まっている方がいいよ.でもあまりやってはいないけれど.

北九州クオリティ

asahi.com:日記に「おにぎり食べたい」 生活保護「辞退」男性死亡 – 社会

これが北九州クオリティ.

2007-07-15 記事追加

asahi.com:生活保護、不法に廃止 収入など調べず 北九州の孤独死 – 社会

2007-07-22 記事追加

asahi.com:求人あるのに仕事紹介せず放置 北九州・門司職安 – 社会

医療機器ってデザインが優しいのかな?

医療機器って見た目に優しいデザインにしているのかな?歯科で使っている歯を削るドリルとか丸っこいデザインだった.レントゲンの機械は固定された顔の周りをぐるぐる不気味な音を立てて回っていた.ただし,白くて角が丸っこかった.

リテラシー教育って必要か?

これって,小中高あたりを想定しているよね.

どうなのだろう?高卒(*1)は単純労働かそれに近い仕事に付くのだろうし,浅い知識を前提に職場のあり方に疑問を持つよりは洗脳モードでそのまま働いてもらう方が回りにとって良いのじゃない?それがいやだと考えたら自分で行動というか勉強というか始めればよいでしょ.リテラシー教育なんかは,社会に出てから必要性を認めてから勉強し始める方が効果的なんじゃないのかな

それよりも基礎学力というか基礎知識というかをしっかりやってもらった方がその後の社会生活には役に立つよ.いつぞやのクローズアップ現代やっていた,「マニュアルに書いてある”差異”という言葉の意味が解からなくて適切な処置がが出来なかった工場労働者(日本でですよ)」のような致命的なミスが無くなる方が重要だよね.それを考えると洗脳というか盲目的に学習させる今の小中高の公教育も利に合っているよ.

今は大学進学率が40%なんだから,彼らにリテラシーなるものを自主的に習得してもらうか講義すれば良いのでは?.大学であれば,学生に自主学習が求められるし,放っておいても意思があればそれなりの行動はするでしょう(*2).学生がしなければしないで,これまた必要を認識してから覚えてもらえばよいんじゃないかな.「人口の上位40%のさらに自主的な意思を持つ者」のみがリテラシーなるものを持つ.これだけリテラシーな人がいれば世の中回らないのかな?

別の視点から.教え手のイデオロギーで内容が左右するような教育を公教育ですることはないんじゃないかな?っていうかすべきではないような.日教組先生が反日教育を堂々としかねないし.文字通り内容が左右してしまうよ.

リテラシーはみんなが持つべきものなのだろうか?それとも一部の責任ある者が持てば良いのだろうか?この疑問はおいおいまたの機会に.

# いかにも産業の為に教育がある的に書いてしまった.

*1 : 近年もしくはこれら高校卒業後に社会に出る人って意味で.

*2 : 場合によってかつての学生運動だったり.

俺的100ドルPCを作ろう 2

この前の続き.実家にFMVを直送して,今週末にセットアップした.OSなしのモデルを買ったため(10000円でしたよ)OSを入れることに. Windows 2000 Pro の正規ライセンスが付いていたので WIndows でも良かったのだが,セキュリティ対策や動作が重くなることを考えて Windows は止めた.というわけで例によって Ubuntu に.

解像度が800×600だってことが気になっていたが,あまり気にならない.せいぜいWebページの右端が見えなくなるぐらいなもので,そこは往々にして広告欄だった.

思ったよりも筐体が大きくて,さらに気軽に持ち運べる重さでもなかった.実家に置きっぱなしにしようかと思う.